2019/01/30

【知られざる中国の名経営者たち】
読み書きのできない田舎のおばちゃんが、辣油一筋で大企業を築く――老干媽(ラオガンマー)創業者 陶華碧

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ジャーナリスト、翻訳家。中国経済・企業、中国企業の日本進出と在日中国人社会をテーマに取材を続けている。現地取材を徹底し、中国国内の文脈を日本に伝えることに定評がある。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)。ニュースサイト「KINBRICKS NOW」、個人ブログ「高口康太のチャイナ・ウォッチング」を運営。

ジャーナリストとして数多くの中国企業を追ってきた高口康太氏が、さまざまな中国企業の名経営者を取り上げ、その経歴や創業ストーリー、経営理念を紹介します。

辣油だけで年商720億円、誰もが知るトップブランド

日本在住の華人華僑は100万人に達するとの説がある。法務省の在留外国人に関する統計では中国籍が74万1,656人、台湾籍が5万8,456人。加えて日本国籍を取得した者とその子どもたち、不法滞在者を加えると、100万人を突破するという計算だ。

はたしてこの計算が正しいのかどうかはわからないが、華人華僑の存在感がかつてないほど高まっていることは事実だ。その影響の一つが日本のあちらこちらに中国人向けの食材店ができていることだろう。上野や池袋に行かなければ手に入らなかった本場の中華食材や調味料が近場で入手できるのだから、中華料理好きにはいい時代である。

私が住む小岩にも駅近にあるのだが、入口すぐ脇の特等席にずらりと並べられている調味料がある。それが老干媽(ラオガンマー)だ。豆豉(トウチ)を入れた辣醤油(具入り辣油)が主力製品だが、他にも具材を変えた数種類の味がある。それをすべて並べているのだ。この店だけではない。日本中どこの中華食材店でも老干媽は幅を利かせているし、それどころか世界中のどのチャイナタウンでも、間違いなく売られている調味料だ。ファーウェイ・ジャパンの広報担当であるTさんによると、ファーウェイ・ケニアの社員食堂にも老干媽は鎮座ましましているのだとか。


駅前の中華食材店にずらりと並ぶ老干媽


ファーウェイ・ケニアの社員食堂では、調味料コーナーに老干媽が2瓶も

今や老干媽を知らない中国人はいない。「2018年中国ブランドトップ500」にも選出されたほどだ。昨年10月には中華全国工商業聯合会が改革開放40周年を記念して「傑出民営企業家百選」を発表したが、アリババグループのジャック・マーやテンセントのポニー・マーらと並び、貴陽南明老干媽風味食品有限責任公司創業者の陶華碧(タオ・フアビー)も選出された。

事業はほぼ辣油だけにもかかわらず、2018年の営業収入は44億4,700万元(約720億円)。辣油業界のトップオブザトップ、中国を代表するエクセレントカンパニーだが、同社の成功物語はドラマにあふれている。自分の名前すらろくに書けない田舎の中年女性が、ロードサイドに開いた小さな店から、うまい辣油“だけ”で大企業へと成り上がったサクセスストーリーは、波瀾万丈の中国ビジネス界でも特別だ。

食堂の手作り辣油が評判に、一念発起で起業

陶華碧は1947年、貴州省遵義(じゅんぎ)市湄潭(びたん)県の山村で生まれた。貴州省は中国でももっとも貧しい地域の一つだが、その中でもさらに辺鄙な場所である。2019年現在も衛星写真を見ると、ほとんど人間の手が入っていない山々が連なっているのがわかる。山の間の谷間に街や集落が点在している、そんな場所だ。

当時としては珍しいことではないが、陶は学校にも通わず家の仕事を手伝った。知っている文字は「陶華碧」という自分の名前を形作る3文字だけ。それも読めるだけで書けなかったのだとか。20歳で結婚、二人の子どもをもうけたが、まもなく夫が病没。陶は広東省に出稼ぎし、女手一つで子どもたちを育てた。

1989年、陶は貴州省に戻り、省都の貴陽市で涼粉(米や豆から作った透明な麺)の店を開いた。といってもお金がないので、近くの工場からレンガを買ってきて、自分で作ったという小さな店だ。「実恵餐厅」(実用レストラン)と名付けられた店は次第に人気になっていく。評判となったのは涼粉ではなく、調味料の辣油だ。テーブルの上に瓶を置いておき、自分でかけて味付けをするのだが、これがすこぶるうまいと評判になった。涼粉は要らないから、辣油だけ欲しいと言ってくる客もいたほどだ。1994年に店の近くに幹線道路ができたことが転機となった。トラック運転手たちが食事に立ち寄るようになったのだが、陶はお土産に辣油を持たせた。運転手たちの口コミで、陶の辣油は近隣以外でも知られるようになっていく。

噂が噂を呼び、陶の店にはますます多くの客が集まるようになっていた。いや、彼女の店だけではない。気づけば周りには何軒もの涼粉の店ができていた。陶の店に入れなかった客を捕まえようという算段だが、それらの店も陶から買った手作り辣油を提供していたので、客にも不満はなかったようだ。「客が盗られている!」と、陶は手作り辣油の販売をやめようと考えたが、そこで近隣の店主に言われた言葉が人生を変えた。

「あんたそんなにうまい辣油を作れるのに、なんで今さら涼粉なんて売ってるんだい?辣油工場を作ればいいじゃないか」

確かにそのとおりだ。陶は納得し、1996年8月、辣油製造企業「貴陽南明老干媽風味食品有限責任公司」を立ち上げた。

投資に走らず、愚直に現金主義

読み書きができない陶だが、契約から会計、人事評価まですべて彼女が裁決したという。書類を読み上げてもらい、確認してからサインした。自分の名前すら書けなかったので、最初は丸を書いてサインの代わりとしていたが、さすがにまずいということで名前だけは書けるよう練習したという。3日間必死に練習してどうにか覚えたが、後に陶は「名前の3文字を書けるようになるのは大変で、頭をぶん殴られたみたいだよ。トウガラシを刻むのよりよっぽど酷だね」とこぼしている。

創業当時、辣油のうまさこそ知られるようになっていたものの、小さな店をやっていただけの陶にはなんの信用もない。どんな取引をするにも、大変な苦労が必要だった。販売用の瓶一つとってもそうだ。国有企業のガラス工場に特製の瓶を作って欲しいと頼んだが、相手にもされなかった。何度も頼み込んでようやく、工場内で余っている瓶を持っていっていいと許された。老干媽が成長すると、ついにオーダーメイドで瓶を作るようになった。国有ガラス工場はその後、倒産ラッシュに見舞われるが、陶が取引した工場は老干媽の注文によっていまだに存続を続けている。他のガラス工場からより低価格で請け負うとの引き合いもあったが、陶はすべて断った。

信用のない中で、陶が貫いたのが現金主義だった。仕入れでは品物と引き換えに即座に現金で支払う。絶対に掛け払いはしない。零細飲食店なら当たり前の話だが、大企業となった今でも、いつもニコニコ現金払いを貫いているのは異例だ。

さらに老干媽には「三不」と呼ばれる大原則がある。それは「融資しない、資金調達しない、上場しない」という3つのルールだ。中国では大会社が銀行から低い金利で資金を調達し、それを投資商品に回したり、不動産など別事業に進出したりがありがちなパターンだ。なにせ長きにわたり高度成長が続いている社会だけに投資先はいくらでもある。利にさとい経営者ならば手を出してむしろ当然だろうが、陶は愚直を貫いた。

拙著『現代中国経営者列伝』で1980年代から現代にいたるまでの中国企業を概観した時に気づいたのだが、中国ではめざとく事業を多角化し投資に手を出す経営者は多いが、大企業に成長するケースではほとんどが本業を守り抜いている。まったくの無学だった陶だが、天性の誠実さ、愚直さでこの成功の道に気づいていたのだろうか。

老干媽とは「義理の母、母親のような存在」を意味する。老干媽は中国人にとって欠かせない調味料、おなじみの味であり、海外で暮らす華人華僑にとっては故郷を思い起こさせる郷愁の味覚だ。どす黒い具と赤々とした辣油という、ちょっとギョッとするような外見とは裏腹に、旨味を感じる味わいには、陶の誠実さが込められている。

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