2019/03/06

【知られざる中国の名経営者たち】
福島に巨大ポンプ車を寄贈、無鉄砲な若者が生んだ中国No.1建機メーカー――三一集団 梁穏根

タグ :

ジャーナリスト、翻訳家。中国経済・企業、中国企業の日本進出と在日中国人社会をテーマに取材を続けている。現地取材を徹底し、中国国内の文脈を日本に伝えることに定評がある。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)。ニュースサイト「KINBRICKS NOW」、個人ブログ「高口康太のチャイナ・ウォッチング」を運営。

建設ラッシュが続く深セン

「三つの一流」を目指す

2011年の福島原発事故。日本人にとっては忘れることのできないつらい記憶だ。事故から8年が過ぎた今も記憶は鮮明なままだ。そうした記憶の一つとして、長大な輸送管を持つコンクリートポンプ車を覚えている人もいるのではないか。電源が失われ冷却システムがストップしてしまったため、どうにかして冷却水を注入しなければならない。さまざまな手段が試みられたが、その一つとして長い輸送管を持つポンプ車で水を入れるという手法がとられた。

もっとも、巨大な原発建屋の上まで届くポンプ車は日本には存在しなかった。どこかから取り寄せられないか……こうして白羽の矢が立ったのが中国の三一集団だ。この時まで日本人のほとんどは知らない企業だったが、コンクリートポンプ車、ロードローラー、風力発電所、港湾機械、石炭機械などの製造販売を手がける中国ナンバーワンの建設機械メーカーである。高層ビルや高速鉄道、港湾、空港など、すさまじい勢いで進む中国のインフラ建設を支えている会社だ。巨大建造物が次々と作られている中国の現場にあわせ、巨大な輸送管を持つコンクリートポンプ車を開発している。原発事故後、要請を受けた三一集団はただちにその無償提供を決めた

三一集団は2008年の四川大地震、2010年のチリ鉱山落盤事故でも重機を無償提供してきた。彼らの企業名は「一流企業の創設、一流人材の育成、一流の貢献」という「三つの一流」に由来している。災害、事故への無償提供も、一流の貢献を目指すがゆえだった。

この三一集団は今や中国を代表する大企業だ。2018年に中国中央電視台(CCTV)はドキュメンタリーシリーズ「大国重器2」を放送した。中国の巨大インフラ建設を支える建設機械を紹介する番組だが、モンスター級の“はたらくくるま”が次々と登場するこの番組においても、三一集団が開発した建設機械がいくつも紹介されている。

この巨大企業を作り出したのはいったいどのような人物だろうか。それは時代に突き動かされた無鉄砲な若者たちだった。

国有工場の安定した職を捨てて起業

三一集団の創業者、梁穏根(リャン・ウェンゲン)は1956年、湖南省婁底(ろうてい)市漣源(れんげん)市の山村、芽塘鎮(がとうちん)で生まれた。子ども時代から学校の成績は抜群だったというが、高校卒業当時はちょうど文化大革命のまっただ中で、大学入試は中止されていた。歴史の荒波に針路を閉ざされた梁だが、文化大革命が終わり、入試が再開された2年目、1979年に名門の中南鉱冶学院(現在の中南学院)に合格した。当時23歳、同級生の中でも最年長だったという。

1983年に大学を卒業。兵器工業部洪源機械工厰に「分配」(国家が職場を定める制度)される。改革開放政策が始まったとはいえ、当時の価値観では国有工場の労働者といえば、社会主義の主役として人々の尊敬を集め、かつ一生食いっぱぐれることのない憧れの仕事だった。だが、梁は時代の変化を感じ取っていた。「中国は変わりつつある。国有企業の天下は長くは続かない」と。かくして1986年、梁は3人の同僚とともに、「鉄飯碗」(鉄でできた飯碗、食いっぱぐれのない仕事の意)の職場を捨て、起業の道を歩むことを決めた。言えば必ず反対されるとして、父親にも相談しないで決断した。

「下海」という言葉がある。公務員や国有企業職員の職を捨て起業するという意味で、当時の中国の流行語だ。改革の流れをチャンスと見て、梁のように安定した職を捨ててチャレンジした人は多かったわけだ。もっとも「下海」が社会の主流だったわけではない。文化大革命は終わったとはいえ、市場経済に懐疑的な人は多かったし、政治の流れが変われば民間企業などすぐに潰されるのではとの懐疑心もあった。

拙著『現代中国経営者列伝』では、1980年代に起業した経営者を数人取りあげているが、自ら望んで起業した人物よりも、やむにやまれず起業した人物のほうが多い。PCメーカー・レノボの創業者である柳伝志は勤務していた中国科学院計算技術研究所が、口減らし的に従業員に起業を命じたことが始まりだった。世界的な通信機器メーカー・ファーウェイの創業者・任正非は仕事に失敗して国有企業から追い出され起業することとなった。

成功すれば富をつかめるが、失敗すればすべてを失う。がちがちの社会主義時代で暮らしてきた、当時の中国人にとって「下海」はなんとも危なっかしい選択であった。望んでチャレンジするものは無鉄砲な若者ばかりといっても過言ではない。

梁たちにしても、成功の方程式を手にしての起業ではなかった。むしろ、ともかく起業してやるという意気込みだけが先にたった、無茶なチャレンジという評価が妥当だろう。最初に手がけたビジネスは羊肉の販売だ。「羊肉の価格が最近めっちゃあがってる!農民から仕入れてきて、都市で売りさばけば儲かるはず!」と手を出したのだが、食肉価格は変動が大きい。農村に買い付けに行っている間に羊肉の価格は急落。あえなく失敗に終わった。次は酒の転売、その次はガラス繊維のビジネスと無節操に手を出したが、いずれも失敗に終わってしまった。

自主開発の溶接材料で成功、市場開放を追い風に飛躍

羊肉、酒、ガラス繊維と脈略のないビジネス転換を続けた梁だったが、創業3年目の1989年に転機が訪れた。それは溶接材料(金属を溶接する際に添加する素材)の製造だ。溶接材料は深刻に不足しており、いい製品を作れば間違いなく売れた。そして、梁の大学時代の専門は材料学。大学時代の恩師の力も借りて、溶接材料を自主開発したところ、飛ぶように売れた。自分の技術を生かすという王道でチャンスをつかんだわけだ。

こうして創設された漣源芽塘溶接材料工廠は順調に業績を伸ばしていく。1991年には「三一材料集団有限公司」と名前を変えた。「一流企業の創設、一流人材の育成、一流の貢献」という「三つの一流」を目指すという意味だ。このスローガンは今も社是として残されている。

そして1994年には三一重工を設立、建設機械製造に参入する。当時、中国の建設機械はほとんどが外国製だった。1992年、鄧小平の南巡講話によって中国の市場経済路線が確固たるものとなり、外資の中国市場参入が促進された。国の保護のもとに生きてきた国有企業は太刀打ちできず、このままではあらゆる産業が外資に支配されるのではないか――そんな懸念すらあったが、民族企業と呼ばれる中国民間企業の台頭が構図を変える。三一重工もそうした企業の一つと言えるだろう。

新興の三一重工は製造ノウハウを持っていなかったが、海外企業の技術、部品を積極的に導入し、伝統的国有企業を上回る品質を実現した。大胆な値引きなど販売奨励策や宣伝でも、小回りの利く民間企業が優位だ。そして、低価格、中国のニーズに合わせた製品開発、地方にも張り巡らされた販売ネットワークなどの面で外資と争った。時には「中国企業を守れ」という愛国心に訴えることもあった。三一重工に限らず、いくつもの民族企業で繰り返された勝利の方程式だ。中国の建設需要が右肩あがりの成長を続けるという追い風もあり、同社は飛躍を続けていく。

2011年の福島原発事故でコンクリートポンプ車を無償提供し、日本でも名が知られたのは冒頭で述べたとおり。2012年にはドイツの世界的な建設機械メーカーであるプツマイスターを買収し、世界へと大きく飛躍する足がかりを得た。

逆風を乗り切れるか

takaguchi_02_image01
プツマイスター買収時の記者会見(左が梁穏根)
(VCG/Visual China Group/ゲッティイメージズ)

プツマイスター買収は世界でも大きく報じられた。中国企業による積極的な海外投資、企業買収の代表例としてたびたび取りあげられただけに、記憶している方も多いのではないか。しかし、その後の三一集団を知る人は少ないだろう。プツマイスター買収を頂点として、同社の業績は雪崩をうって縮小しているからだ。

建設機械メーカー・三一集団の栄光は、中国のインフラ建設需要を追い風としていた。特に業績が爆発的に成長するきっかけとなったのが2008年のリーマンショックだ。中国政府は危機を乗り切るため、俗に4兆元対策と呼ばれる巨額の財政出動を断行。インフラ建設を積み増すことで景気悪化を乗り越えようとした。この波に乗って三一集団は成長した。三一集団の中核企業である三一重工の営業収入は、リーマンショック前の2007年は91億4,500万元だったが、ピークとなる2011年には507億7,600万元と5倍以上に膨れあがっている。

しかし2012年に習近平政権が誕生すると潮目が変わった。新政権の政策は「デレバレッジ」(債務削減)、「ニューノーマル」(以前よりも低い成長率が常態化すること)。4兆元対策で膨れあがった債務が中国経済のアキレス腱になっているとの認識から、過剰なインフラ建設の抑制を目指したのだ。三一重工の営業収入は2016年には232億8,000万元にまで下がった。ピークから5年で半減以下となったわけだ。

2017年の党大会を前に、中国政府は景気下支えの財政出動を行った。その恩恵によって三一重工の業績は反転し、2017年の営業収入は383億3,500万元と回復。2018年も第3四半期時点で前年比43%増という成長を続けている。2019年は中国経済減速の影響を受けるのか、それとも景気対策の恩恵で伸びるのか、いずれにせよ政治決定に大きく振りまわされる状況だ。

梁穏根もこの事態に手をこまねいていたわけではない。リストラにより会社を筋肉質に変えるとともに、海外展開を強化することによって、中国の景気動向に左右されない体質への転換を目指していた。もっともキャタピラー、コマツといった巨人を相手にホームの中国市場では勝てても、アウェーの海外市場で戦うのは容易ではない。現時点では一帯一路政策に伴う、中国建設企業の海外進出が頼みの綱。海外展開にしても政治に左右される状況が続いている。

中国経済は今、構造転換の時代を迎えている。投資主導、インフラ建設主導の成長から脱皮しなければならない。この逆風をどう乗り越えるのか、「無鉄砲な若者」も成熟した大人にならねばならない時代を迎えている。

タグ :

HuaWaveの新着記事をメールでご案内します。ご希望の方はこちらからご登録ください。

RECOMMENDED


RELATED

MOST POPULAR