2019/07/08

【東南アジア ON THE MOVE】カンボジア初のベンチャーキャピタルSADIF 新世代が変えるカンボジアの未来

神奈川県生まれ。ニューヨーク市立大学ハンター校政治学部卒。国連日本政府代表部インターン、IRコンサルティング会社を経てフリーのコーディネーターに。国内外のクライアントに通訳、翻訳、調査、コンテンツ制作等のサービスを提供。現在、プロダクション「ROBOTEER」に所属し日本、中国、東南アジアなどアジア圏を中心に取材・執筆活動を行っている。

SADIFのファンドマネージャー ボラ・ケム氏

シンガポール、インドネシア、マレーシアなど、東南アジアからは、ここ数年、世界的なベンチャー企業が続々と登場している。GrabGO-JEKTravelocaなどユニコーン企業の名は、日本でもお馴染みとなった。ただし、東南アジアと一言で言っても、各国のベンチャー事情は実にさまざまなだ。人口、経済規模、生活水準、課題や需要などなど、それぞれの実情がある。今回は、東南アジアの中でも、まさにこれから国の成長が始まろうとしているカンボジアにてベンチャー企業に投資を行う、同国初にして最大規模のベンチャーキャピタルにフォーカスしたい。

2017年、カンボジア初となるベンチャーキャピタル、「スマート・アシアタデジタルイノベーションファンド」(以下SADIF)が創設された。同ファンドはカンボジアのデジタル経済の拡大を目指し、国内のテックスタートアップ企業への投資を積極的に進めている。母体はカンボジアの携帯電話大手、スマート・アシアタ社。現段階でのファンド規模は総額で500万ドル(約5億4,000万円)だが、発展途上にあるカンボジアにとって、そのインパクトは決して小さくない。

近年、海外からカンボジアへの投資は加速している。中国資本、韓国資本、シンガポール資本、タイ資本等のカンボジアへの流入は有名だが、日本も例外ではない。カンボジア政府の公式データによると、2016年と2018年の国別投資状況で、日本からの投資額は中国に次いで2番目となっている。また、SADIFの出資元であり、国内携帯電話最大手の一つであるスマート・アシアタ社に対しては、三井物産が2017年に74億円を出資。さらに翌年には追加で約100億円の出資を決めた。

劇的に変わりつつあるカンボジアの投資環境。その中でプレイヤーとして、また現場担当者として挑戦を続ける、SADIFのファンドマネージャー、ボラ・ケム氏に現地でお話をうかがった。

スマートフォンを使ったありとあらゆるサービスをポートフォリオに

ケム氏は、SADIFの大枠の戦略は「スマートフォンを使ったありとあらゆるサービスをポートフォリオに加えること」と説明する。そこには、東南アジア地域の特性、また同地域のデジタルエコノミー独自の理由がある。

東南アジアでは、スマートフォンが人々の生活の中に深く浸透している。欧米や日本では、テレビやPCなどの端末・メディアが経済を動かす重要なファクターとなっているが、東南アジアのような新興国地域ではスマートフォンからインターネットに触れ始めたという人も少なくない。そのスマートフォン・セントリックな情報・経済環境が先進国の人々が考える以上のスピードで広がろうとしている。

「私たちの考え方ではデジタルエコノミーはタコのようなものです。多くの足があって違う動きをしても、それぞれが協調して大きな全体として動くのです。伝統的な業界と違いすべてが関係しあいます。決済サービスはeコマースと連動しますし、eコマースはメディアと連動します。すべてのサービスが全体として一つにつながるのです。そのため、局所的な一つの投資ではあまり意味がないのです」(ケム氏)

点ではなく面で捉える投資戦略には、カンボジア独自の事情も存在する。アメリカのシリコンバレーやシンガポールといった成熟した市場では、「数パーセントのシェアでも取れば、投資リターンは十分に大きい」が、カンボジアのような発展途上の市場では「各セクターにおいてベストなスタートアップを見つけることが重要」だとケム氏は言う。

「この国にはまだテクノロジー分野におけるリーディングカンパニーと言える会社が存在しません。カンボジアでもGoogle、Facebook、YouTubeを皆当たり前に使っていますが、国内からそういった企業はまだ出ていないのです。裏を返せば、現時点でどの会社、起業家にとっても少なくとも国内のトップ企業になるチャンスがあるということです。それはフィンテックから出てくるかもしれないし、eコマースかもしれないし、あるいはデジタルメディアなのかもしれない。それは私たちにもまだわからない。それが、スマートフォンを使ったありとあらゆるサービスを獲得することを戦略に据えている理由です」(ケム氏)

投資の基準は国内のエコシステムに貢献するかどうか

ファンド創設から2年目の現在、投資先は9社となっている。例えば、Okra(太陽光発電技術を持つIoT企業)、Nham24(オンラインフードデリバリーサービス)。投資基準に関しては明確なルールが存在する。一つは、ファンドとして当然の「投資収益」。もう一つは「国内のエコシステムへの貢献」だ。

「実際に最近、投資リターンとして非常に素晴らしい案件があったのですが、カンボジアのエコシステムへの貢献が何もなかったので、投資を辞退しました」(ケム氏)

厳格な基準はあるものの、晴れて出資を受けることになったスタートアップ企業にとって、メリットはお金だけにとどまらない。

「例えばeコマースや決済サービスの場合、消費者にアクセス可能なネットワークが必要です。スマート社には800万人の加入者がいます。このネットワークが利用できる価値は、スタートアップにとって出資資金よりも魅力があるものだと思います」(ケム氏)

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有望な投資先を発掘するためのイベントも積極的に開催しているケム氏(写真左端)

帰国の決意と、背中を押した上司の言葉

ケム氏は国連に勤める叔父と一緒に、11歳でニューヨークに移住した。その後名門大学へ進学、MBAを取得し、ウォールストリートの投資銀行やシリコンバレーのファンドを渡り歩いてきた。アメリカ社会の中でも誰もが羨むようなエリート街道を歩んできたケム氏が、若くしてカンボジアへの帰国を決意したのには、大学進学を控えた18歳の時だという。

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「当時カンボジアに一時帰国をし、NGOで働きました。しかしそれは自分が求めていたものではなかった。違和感を感じたのです。この国の人々の生活を本当に根本から変えるには、経済の力が必要だと感じました。しかし18歳の自分にはこの国に変化をもたらすだけのスキルも人脈もなかった。その時にアメリカに帰って金融を学ぶことを決意しました」(ケム氏)

退職の際、上司から怒られることを覚悟していたケム氏待っていたのは、意外な反応だった。

「彼の反応は『いいじゃないか!』というものでした。彼は『人生において、情熱とエネルギーを持ってがむしゃらに働けるのは、30代から40代だ。それは国も同じだ。歴史の中で急激な変化が起きる時期がある。そしてすべてが変わる。カンボジアはまさに今そのステージにいる』と言ったのです。とても嬉しかった。ニューヨークやシリコンバレーに残り、より大きな投資案件をまとめることもできましたが、自分の人生を考えたとき、こんなユニークな体験ができるのは貴重だと思いました。SADIFを起ち上げたとき、私たちがこの国で初めてのベンチャーキャピタルでした。同じようなことをアメリカでやろうとしたら、5年や10年待たなければできません」(ケム氏)

自分は特別ではない 新世代のもつ変革のポテンシャル

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社外のフォーラムで、パネリストやゲストスピーカーとして登壇することも多い

ケム氏は、彼のような外国帰りの有能な人材は「決して特別な存在ではない」と言う。少なくない数の移民や留学を経た若者世代が母国への貢献を求めて、カンボジアへ帰国しているのだ。

「同じ気持ちや志をもった仲間がたくさんいます。芸術や政治、経済など、それぞれ違う分野ですが、皆海外でスキルや新しい見識を積んだ若者です。民間だけでなく、政府内にもそういった人材がたくさんいます。また私たちの投資先のスタートアップ企業にも外国帰りの若者が多いです。AGRIBUDDY(アグリバディ)のケンゴさん(北浦健伍氏)は日本人ですが、私たちと同じ志です(笑)。そういった人達が協力しながら、カンボジアの新しいエコシステムを構築し、育てています」(ケム氏)

また、そんな若い世代中心で構築されたエコシステムは非常に柔軟でオープンであり、それはカンボジア経済の「大きな強み」とも言える。「外国人だからといって、ビジネスがしづらいということはない」とケム氏は言う。前出のAGRIBUDDYは日本人の北浦健伍氏がカンボジアで起ち上げた農家向けのフィンテックサービスを展開するベンチャー企業で、SADIFも出資をしている。日本では、日経FinTechイベントで最優秀賞を受賞したり、サッカー・本田圭佑選手や、孫正義氏の実弟である孫泰蔵氏が投資を決めて話題にもなった日本を代表するベンチャー企業である。

個人的な見解と前置きした上で、ケム氏はこの新世代が起こす変化を以下のように予想する。

「この国の人口を見ると、内戦の影響から年をとった世代は少なく、たくさんの若者がいます。近い将来、私たちの世代がこの国を率いる中心になっていきます。こういった特殊な人口構成もあり、変化は割と『早く』そして『激しく』起こる、と考えています」(ケム氏)

大きな可能性と同時に、足元では課題も多いという。現在カンボジア国内に約300のスタートアップがあるが、そのうち投資可能な会社は50社、持続して投資を受けられる会社となると10~20社になってしまうという。「数とともにスタートアップの質を高めていくことが重要」だとケム氏は言う。

そのための取り組みとしてさっそく、ケム氏が主要メンバーとなりSADIFとは違う枠組みでSmart Scaleというインキュベーションプログラムを5月に起ち上げた。協賛にはアメリカの政府機関やスイスの会社が名を連ね、メンターには世界各国の人材が集まっている。

また、SADIFの現時点での運用額は、国内経済や投資先企業の成長を鑑みて「十分とは言えない」とケム氏は考えている。そのために日本の経産省を含む各国のさまざまな企業、団体ともディスカッションを重ねているという。さらに近々、著名なベンチャーキャピタルや外国企業と共同投資を行う予定を控えているとのことだ。

カンボジア初のベンチャーファンドと、ケム氏らの新世代がカンボジアにどのような変革をもたらすのか。今後の展開を楽しみに見守りたい。

取材協力
天沢燎

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